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泣ける映画まとめ

泣ける映画のみをまとめてみました。

映画「何者」就活と言う通過儀礼に遭遇した若者の心の痛みをリアルに描写

青春

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本作は就職活動をする文系の大学生たちを描いた映画である。本作を観るに、つくづく本邦では就活が実質的に「通過儀礼」であることが判る。

 

 

仕事に就く・仕事をすると言うことそのものはもっとテクニカルかつロジカルかつ客観的に捉えるべきことであり、こう考えると、今の就活なるイベントは、私には異常なものに映る。

大体、本邦の大学生なんてちょっと前までは小学生・中学生だった訳で、ちょっと前まで学生鞄をしょってて、学校に囲われてもっぱら自分たちが生きている生活とは関係ない学科ばっかり教わってきた厨房ごときが自分の適職なんて考えられる訳もない。結果として、「私はどんな仕事・どんな会社に恋をすべきか?」と言う思込みを先行させて就活をクリアすることとなる。さらにそれを「自己実現」とか「夢の実現」と言うタワゴトがよいしょするから、話はますますややこしくなる。

こう言う下らない変なイベント=就活が本邦でなぜ性懲りもなく行われているかと言うと、就活が本邦において学生(半分ガキ)が大人になるための通過儀礼(イニシエーション)として実質的に位置づけられているからである。本映画のキャッチコピーは「青春が終わり、人生が始まる。」だが、これは実に本映画の本質を捉えていると私は考える。だが、逆の見方をすれば、「大学生がまだ半分ガキであると言うこと」は、世界的に見たらとんでもないことである。外国(韓国を除く)で大学生と言ったら社会の指導的立場に立つためのエリート候補生であり、自分の人生の抱負くらいは判ってるものだ。少なくとも、大学生が「大学で何をすべきか?」が判らないのは日本人と韓国人位のものだ。

私の話をすると、私は自分の実力以上の大学に行ってしまい、無気力になってしまうが(『化物語』で阿良々木暦が自分の実力以上の進学校に進んで落ちこぼれになるのは現実でもありえる話だ)、何とか形だけの自己紹介と志望動機をひねり出して、偶然的に内定を1つだけ確保して何とか社会人になれたのわけで、自分は実質的には就活に失敗したクチだと思っている。私はもう四十路が見えてる年齢だが何時までも自分の青春が終わってないんだなと思う。私は腐敗した青春を切り離せてない。

『何者』は就活と言う通過儀礼に遭遇した若者の心の痛みを事実の描写で描いているのだが、それ以上のメッセージと方向性は(少なくとも私には)導き出せなかった。私にとってはかなり重い内容の映画だった。

にしても、毎回映画を観るたびに思うのだが、映画の製作委員会に、あの悪名高い「電通」と「博報堂」がクレジットされてるのは見るたびに不快になる。私が払ってる映画代がこんな本邦のラスボスどもにバキュームされてるとは…。こう言う連中が不当に利潤をバキュームしまくることが許されてるのは私の義憤に火をつける。アニメ制作会社なんて電通博報堂の一番の被害者なんではないだろうか?